あるとき起きた現実の災害を扱った創作物があって、一つは登場人物が一人も死なない話、もう一つは死ぬ話、さて、普通に考えたらどちらにリアリティを感じるだろう。
「リアリティと言うなら死ぬ方でしょう?」
ところがどっこい死ぬ話の方はリアリティがないと批判が殺到しているのな。死なない話の方はリアリティがないようでいて、どこかあり得るように感じられて、共感したファンで社会現象にまでなってる。
「そうね、現実には他人の死なんて生きていればどこかで遭遇するものだもの。どうも、この世界の人間は死を現実のものと考えていないところがあるわね。現実逃避?」
そうだな。現実逃避だね。死ぬ話の方は実際に死んだ人間や遺族に向き合っていない。死なない話の方は生きている人に向き合ってる。
「死に向き合うといえば、本来のお経は死者に向けられるものではなく、聖者に向けて死者への執着を断つように促すものだとか」
うーん、人が死ぬ話っていうのは要するに登場人物や読者、視聴者を呪っていくものなのかもな。