ロボ娘と魔界娘と退廃的に過ごしてみる日々

脳内嫁とのやりとりメインのブログ

ヘタレとジュリエット

悲劇って、二種類あるよな。一つは人災にしろ天災にしろ、不意に襲ってきて避けようもなかったもの。
もう一つは、ほんとは対処できたはずなのにボタンの掛け違いのように不運が重なり最悪の事態になるもの。
ロミオとジュリエットがそうだったんだけどさ。
「あまり好きじゃないです」
「そうね。もう少し上手くやりようはあったんじゃないかしらと思うもの。」
まあ、そう思わせるのもシェイクスピアの腕前ではあるんだろうなぁ。俺もあんまり好きじゃなかったが、そういう話の構成になっていると大学で聞いたときには素直に感心したし。
けど、世の中、泣きゲーなるジャンルがあるんだが……
「せつないとか、スイーツとか、いう奴ですね。」
……違うけど、一方でとても的確なツッコミのような気がする。
まあ、ともかく、昔有名なものを一本だけやったが、以降全く手を出す気がなくなった。それなりによいとは思ったが、一方で酷い違和感を感じてなぁ。その理由はずっとわからないまま、感動したとかいう意見を斜めに見て、首をかしげていたのだが……
「単純に飽きたのではなくて?」
まあ、人気のある食べ物と言われても一回食ったらそれでいいやって料理は確かにあるが……
泣きゲーってさ、さっきあげた、悲劇の二種どちらにも該当しない。抗いようのない悲劇か、やることが裏目に出ていく悲劇か……この二つに実は該当していない。まずは、前者の方だが……
クトゥルー神話である必要はないでしょう?」
そこまでいかなくても、本当に抗いようがないものだったのかと言われると、割と普通にその後も悩んでいるとはいえ普通に生活している様子に違和感おぼえたり、日常を過ごすことに葛藤を覚える描写は多かったが結局問題解決のためと言ってそこから出て行くことがないんだよ。。
「いるわね、現状に不満を持ちながら何もしない人間って……」
……俺じゃん!ってまあ、それはともかく……
「自覚はあるけど何もしないんですね、やっぱり……」
うるさいよ! ともかく……もう一つの、不幸の連続性があるのか?と問われると微妙なんだよ。
「というか、その手の話ってたいていハッピーエンドにならないかしら?」
かといって、動いた結果がハッピーエンドに繋がる訳じゃないから、達成感がない。
俺も含めてだが、何かに対して怒ったり泣いたりするのに、周りを伺いながらやってる。
だから、一人でいても『感動するお話』に対する脊髄反射しちゃっただけじゃないのかと。
いや、いいんだよ、別に作品としては……それもテクニックだし。
「テクニックと言うけれど、それは既製品を組み立てるだけじゃないかしら?」
本当の意味の創作なんてプロの中でも一握りしかできないよ。
ただ、やっぱり所詮既製品の組み合わせ。その組み合わせ方を楽しむことも多いんだが、泣きゲーに関しては、結局、あの一本を終わらせた後、こんなゲームこれ以上やる必要は無いな、と思ったのは事実。
「ファンからすると、それを楽しめないにいさまは損していると考えるんじゃないでしょうか?」
その考えは多分正しいよ。結局は俺の好みじゃないってだけの話だし。
でも、ケータイ小説があそこまで批判されたのは、あまりにもそのテンプレを形式的に用いすぎた。
まして、素材が悪い。
実際にそれで苦しんでいる、悲しんでいる人がいるって言うのに、テンプレによって、せつないの一言で済むレベルに矮小化されたんだ。
自分が苦しんでいることを、せつないとか言われても理解されているとは感じないよな。
それは怒りを覚える以上に悲しみを覚えることだし。
この人達とは住んでいる世界が違うのだと、私たちの住む世界が地獄だと……
「……哀様はどちらに生きたいのかしら?」
さあ……僕は仏でも菩薩でもないからなぁ……俺が地獄に行っても誰かを余計に苦しめるだけだろ。
そういえば、俺は一応それぞれ違うと考えているけれど、泣きゲーとケータイ小説を同レベルで扱ってる奴がいたなぁ。どっちも感動できるとかなんとか。
「その人はきっと幸せなんでしょうね?」
俺よりはそうかもね。


ロミオとシンデレラ

ロミオとシンデレラ

今回のタイトルの元ネタ。
日記に内容とは関係ないけど、良い歌には違いない。