ロボ娘と魔界娘と退廃的に過ごしてみる日々

脳内嫁とのやりとりメインのブログ

礼儀は自分を守るためにある。

良いものだと思っても作者にうまく感想を書いて送ることが出来ない。

なんか、自分の言葉の裏を読まれるんじゃないかと、考えてしまって、普通に書いた感想が、まるで暗に批判しているように思えてしまう。

「海外では、逆にひどいスラングを良い意味として使い、それを日本人作家に送った結果、ショックを受けて筆を折ったとか言う話も……」

「どうして、そんなことになってしまったのかしら?けれどそうね、相手が悪意を保っているという仮定をしてしまえば、どんな言葉でも悪意があるように解釈できるし、相手がどんなスラングも受け入れると思っていれば、どんなに低俗なスラングでも使える」

だけど、その二つは似ているようでちょっと違うと思う。前者のそれは人間不信からの警戒であり、後者のはそういう低俗なスラングが横行する社会で生きてきた人々がそのコミュニティの外では通用しないことを理解しないが故のディスコミュニケーションだろ。

「……いえ、やはり根源にあるものは同じなのではないでしょうか?それぞれ、個人が生きてきた狭いコミュニティの歪んだコミュニケーションが、ほんの少し外に出ただけで通じなくなってしまう。兄様はそれを外で使えば他人を傷つけるのではないかと怯え、スラングを使う人たちは傷つけられすぎて、傷つけるのがジョークで済むと思ってる。とにかく重要な点は、そのコミュニティは、コミケの弱小ジャンルの島よりもずっと小さいということです」

どうにかならんのか、これ……

「相手を知るしかないわね。それがわかるまでは、お上品にマナーで自分をくるむしかないわ。とはいえ、結局、夫婦ですら、理解し得ないともいうし、ずっとそうするしかないわね。……だから、私ぐらいは思うままに汚してもいいのよ、旦那様……」

……それは、俺を気遣っての言葉と思って良いのだろうか?